<9>からつづく
しおかぜ町から「キンパッつぁん編<9>」2023/11/14 沼田もがく - しおかぜ町から
薫ちゃんママまで「お願いします」と言う。こんな状況で断れますか。ジョージも覚悟を決めた。あぁ、どこまでがんばれるだろう。喉が渇いた。
「じゃぁ、やるか」
ジョージが言うと、全員の表情が明るくなった。泣いていた森田が「だから夏目先生、好き」と言って、戸田朱里に頭を叩かれた。
「ただ、その前に」
ジョージが言う。全員が聞く。
「沼田と二人で話をさせてくれないか。あ、お母さんも抜きで」
「わかりました」と言って、全員が出ていく。
森田恵子が「薫、夏目先生は私の」と言っていたが、戸田朱里に引っ張られて行った。
「沼田」
「はい」
「菊田先生、好きだろ」
「え」
「菊田先生、お前のことよく理解してくれてる」
沼田が、目を潤ませた。
「菊田先生、ずっとお前が無理してるって言ってた」
「はい、すみません」
「ほら、すみませんって言う。お前、いつもみんなの顔色見て、みんなの間に立って、みんなの関係を考えて。そんでもって自分を抑えて」
「あの」
「黒崎を心配して、だけどどうしようもなくて、結局こんなことになって。それで、お前、自分を責めてる」
「私」
「悪いのは黒崎なんだぞ。そんなことは黒崎自身がわかってるし、周りの誰もがそう思ってる。なのにお前は、自分を責めてる。なんで自分が止められなかったんだろうって思ってる。だから黒崎の気持ちを背負って代役をやる。それはいいよ。カッコいいよ」
「あの、あの」
「なぁ、だけど黒崎のものまねはやめろ。そんなもの見たくない。モノマネグランプリか。みんなはお前の演技が見たいんだ。ここまで来たら、『薫ちゃんノート』なんか捨てちまえ。だいたい、いい子ちゃん祭りの薫ちゃんに、あのヤンチャ娘のまねができるもんか」
俺は、何言ってるんだ。沼田が下を向いている。
「抑えてたものを、吐き出してみろ。自分を抑えるな。外面のいい子ちゃんとは違う自分がいるだろ。オーディションの悔しさを思い出せ。樹里亜のすっとこどっこいが黒崎なら、お前は”黒沼子”になれっつうの。黒い沼子の『なんなの、あなた』を叫んでみろってんだ」
鷹木先生の口調が伝染した。よけいに喉が渇く。
「やるぞ」
外に声をかけた。入ってきた連中が、沼田を見る。
「お母さんが場所をとってくださったんだ。練習やるぞ。内田は俺の横でダメ出ししろ。最初から行くぞ。準備」
水を飲む時間も無かった。どんどん進める。沼田の調子が出てきた。もっと解放しろ。ジョージはそう思いながら、続けた。
例の場面に来た。
「なんなの」
大きな声。全員が凍り付く。ドアの陰で見ていた薫ちゃんママが、息を呑んだ。
「あんた」
声が震えていた。情感たっぷりだ。
「あんた」じゃなくて「あなた」だけどな。でも「あんた」の方がいいか。隣にいた内田も、止めなかった。
日付が変わる直前まで続けた。生徒たちの声が嗄れ始める。これ以上やると、本番に支障が出る。
もちろん不安は残っている。ここにいる者以外は、芝居が変わったことを知らないのだ。それはどうしようもなかった。
表へ出た。こんなことやって、学校に知れたら始末書ものだよ。考えながら、自動販売機で水を買った。
客席の照明が消えて、アナウンス。拍手。オープニング曲。本番の幕が上がる。
黒崎はベッドの上で、どんな気持ちだろう。予定通り退院できそうだ。今朝、鷹木先生から聞いた。
処分については、退学や停学という案も出たが、家庭謹慎あたりで落ち着きそうだという。事故に関しては、被害者という見方もできる。主張してくれたのは岡部先生だったそうだ。ジョージは泣きそうになった。
その黒崎が立つはずだった舞台で、芝居が始まる。
昨日のリハーサルはたいへんだった。演技が変化して、照明や音響のきっかけが変わってしまった。修正はしたが、ほとんどぶっつけ本番だ。
ダンスの曲出しが遅れた。観客にはわからない程度だが、役者は動揺する。沼田の立ち位置がずれて、顔に照明が当たっていない。全体が浮き足だって、セリフや演技が走りすぎている。
それでも、十五分を過ぎたあたりから落ち着いてきた。
森田恵子が輝いている。はかなさも出ている。褒めると調子に乗るだろうが、男子ファンが増えそうだ。戸田朱里は、まさに宝塚歌劇の男役だった。大きい演技をしろ、と言ったのは正解だった。こちらは同性の人気が出るだろう。
沼田は嫌われ役に徹している。「いい子ちゃん」は変貌した。舞台上では別人だ。
「この役を観客が憎めば、芝居は成功だ」
ジョージが黒崎に言ったことばは『薫ちゃんノート』に残っているはずだ。捨てちまえと言ったが、沼田はどうしただろう。
リハーサルを見た菊田先生が驚いていた。
「沼田に何言うたんや」
あの場面が来る。弟を奪われる。ヒロインが憎い。それなのにいつの間にか、彼女を認め始めている自分。矛盾。嫉妬。葛藤。
行け、沼田薫。
渾身のセリフ。
「もう、いったいなんなのよ、あんた」
アドリブを入れやがった。あの秘密練習のように、みんなが凍り付く。
乗り切った。
ジョージは思った。
今朝、菊田先生と話をした。今日の舞台が終わったら、演劇部の顧問を外れるつもりだ。黒崎の件は、監督不行き届き。自分が責任を感じるべきだ。
「アホなこと言いないな」
アホばっかりです。ジョージが言うと、菊田先生が苦笑した。
「まぁ、もう一回考えてみ。先生が外れるんやったら、ワシかていっしょやがな。担任や鷹木のおっさんもやで。それは、ちょっとかなんで」
再び幕が上がる。カーテンコール。生徒たちの挨拶。作・演出の内田も登場する。センターに立たせてもらっている。
「やっぱり、ファッションショーのデザイナーじゃないか」
思わず笑ってしまった。みんなよくやったよ。
幕が下りた。黒崎を思った。
学園祭が終わったら、相談に来るって言ってたなぁ。しばらくは無理だな。宙ぶらりんなままだな。演劇科に行きたいって希望、まだあるかな。
だったらうれしいけどな、先生は。
舞台から降りてくるキャストを拍手で迎える。森田恵子が飛びついてきた。今日ばかりは「よしよし」と言ってやる。
まだ夏は続いていた。
この項終わり