ベース担当者は簡単に見つかった(らしい)。
宗介さんがよく行く、沖縄料理店のサブチーフで
那覇の出身。
私がいたバンドのベースも沖縄出身者だった。
不思議な縁を感じて、喜んでOKした。
腕前はわからないが、今も弾いているというから
間違いはないだろう。
宗介さんのドラムより、確かな気がする。
これで、ギターとベース、ドラムが揃った。
バンドとしては、成立する。
でも、キーボードがあった方は何かといい。
音に厚みが加わるし、他の楽器のフォローもできる。
メンバー探しを継続することに決めた。
『秋のグルメフェスティバル』には、まだ三ヶ月ある。
「それで、三ツ色さん、ボーカルなんだけどね」
「はあ、私はやりませんよ」
久しぶりのプレーだ。ギターだけに集中したい。
「そう言うと思ったよ。ベースの内名さん(ウチナンチュの内名さん。覚えやすい)は
沖縄民謡ならいいさ~、だってさ」
それはそれでいいかも知れない。
秋の一日、オキナワン・ソングを聴きながら、野外で沖縄料理。
ただ、私はギターを三線(さんしん)に持ち替えないと。
「それでだね。ボーカルはゲスト、ってことにして、
いろんな人に歌ってもらうのはどうだろう。
お客さんも知ってる人が出てきたら、うれしいじゃない?」
いや、もう町内会カラオケ大会みたいになりません?
生演奏のど自慢大会みたいな。
「いやいや、そこは俺たちがちゃんと選んでさ。
『親父バンド・フィーチャリング・誰々』って感じで」
そうだなあ、まあ、宗介さんが言い出しっぺだから
おっしゃることには従いますけどね。
ただ『親父バンド』というバンド名は再考してもらいたい。
すると翌日、変更になった(あっさり)。
キーボード、やってもいいですよ。
奇特な人が現れたのだ。
キンパッつぁんの同僚の先生。
軽音楽部の顧問の先生が、名乗りをあげてくださった。
キンパッつぁんが職員室で「こんど親父がね……」と話したのを聞いたらしい。
木之内先生。女性である。
従って『親父バンド』の名称は自動的に消滅。ありがたい。
さらにありがたいことに、学校で練習場所も貸してくださる。
「地元の行事なんだから、当然じゃないですか。
三ツ色さんには、コーチに来てもらったこともあるし」
コーチと言っても、たいしたことはしてないけど
しおかぜ町から2023/07/16バンド結成? ホントに? - しおかぜ町から
役に立ったわけだ。
そんなこんなで動き出した『名前のないバンド』に
ボーカリストはまだいない。
フューチャー的にフィーチャーする人は現れるのだろうか。