しおかぜ町から

日々のあれこれ物語

しおかぜ町から〜追憶編7

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大学を卒業し、

私は神戸の私立学校で教師になった。

城間は京都の製薬会社に就職し、

具志堅太郎は沖縄で、水産会社に入社した。

カノンは、ライブハウスに来ていた人物から声がかかり、

大阪の放送局で、契約社員として働きだした。

つまりは、みんな音楽から離れたわけだ。

 

島田を除いて。

 

あの面倒臭い先輩は、

今でも、

そう今でもだ。

家業を手伝いながらライブハウスで歌っている。

月に2度はステージに上がるという。

人間性は別にして、歌が素晴らしいのは確かだ。

 

バンド崩壊から七年後、

私はカノンの夫になった。

時間がかかったのは、

お互いに多忙だったからだ。

特に彼女は、

早朝番組の助手、アシスタントディレクターのアシスタントとして、

走り回っていた。

その後、午前10時スタートの番組担当になった。

その、少しだけ余裕ができたタイミングで、籍を入れた。

私が神戸、彼女が大阪勤務。

中間あたりの、しおかぜ町に新居を持った。

仕事中心の結婚生活だったが、

それはそれで幸せだった、と思う。

そんな暮らしが、続くはずだった。

 

 

ドラマじゃあるまいし。

そう思ったものだ。

ドラマじゃあるまいし。

彼女の写真に語りかける。

 

 

七月の暑い朝だった。

カノンは仕事がオフだった。

彼女がつぶやいた。

「なんか、頭が痛い」

珍しいことだった。

出勤の準備をしていた私は、彼女の顔を見た。

顔色が悪い。

気になった。

ただ、私は休むわけにはいかなかった。

 

学校は夏休みに入っていたが、

補習講習や、教員の研修会、部活動の指導。

予定がつまっている。

学期中なら時間割があるが、夏休みにはそれがない。

すきまなく仕事が入る。

「早く夏休み、終わってくれないかな」

同僚教師の口癖だ。

 

カノンも、私の事情は理解していた。

心配する私に、彼女は言った。

「ごめん、大丈夫よ。頭痛薬飲んで、静かにしてる。

暑さで疲れてるんだと思う」

私を玄関で見送って、手を振る。

「まさみさんこそ、暑いから気を付けてね」

無理に微笑んだと思ったのは、気のせいではなかった。

 

ひとりで自宅にいた彼女が倒れたのは

午前11時ごろだったらしい。

彼女は自分で救急に連絡した。

その時点で

口調が怪しかったそうだ。

救急隊が到着したときには、意識はなく昏睡状態だった。

私が、連絡を受けたのは

二時間の補習授業を終えたときだった。

 

翌日、彼女は亡くなった。

お若いのに残念です。

みんなが、そう言った。

そうだ、残念だよ。

あの日、家にいれば。

何度、思ったことだろう。

 

忙しいことが苦ではなかった。

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忙しいことを楽しんでさえいた。

カノンもそうだった。

当時のマスコミ業界だ。

刺激もあっただろう。

健康や穏やかさ、

ふたりとも、忘れていたのかもしれない。

 

カノンが亡くなっても、

私の現実には生徒たちがいた。

生徒たちには、今日が、そして来年に迫り来る入試が、

現実である。

カノンのことを、心にしまい、

私は仕事を続けた。

マシンになっていたのかもしれない。

 

告別式の翌日、昼からではあったが、

私が出勤したときには、

さすがに同僚たちが、驚いていた。