しおかぜ町から

日々のあれこれ物語

しおかぜ町から2023/11/09「キンパッつぁん編<3>」

「キンパッつぁん編<2>」からつづく

しおかぜ町から2023/11/08「キンパッつぁん編<2>」 - しおかぜ町から

「頑固だなぁ」
「すみません、先生。でも、作家としては譲れないというか」
 作家かよ。声が出かけたが、なんとか抑える。
「あんまり時間かかると、待ってる連中が不安がるで」
 菊田先生が、割って入った。
「それで提案やねんけど、もうこうなったら本人に聞こ」
「本人て、沼田にですか」
「せや。異例やけど、最上級生に敬意を表して、決める前に沼田さんに打診しよ。スタッフに回ってくれるか、言うて」
「せやけど」
 つられて、ジョージまで大阪弁になった。
「それでもキャストでやりたい、って言ったら」
 ジョージの問いに、菊田先生が笑いながら答える。
「しゃあないがな。そうなったら始めっからやりなおそ。部員ら帰して、もう一回、考えなおそ。全部やりなおしや」
「そうですねえ」
 それしかないか、という気になった。内田里穂が頷いた。
「薫ちゃんは、わかってくれますよ」
 ジョージはマイクのスイッチを入れた。客席に放送が流れる仕組みだ。「えー」というジョージの声に、部員たちが驚く。
「ごめんな、待たせて。で、悪いんだけど、沼田、ここに来てくれないかな」
 部員たちが彼女を見る。本人は「え、私」という顔をしている。それでも「はい」と大きな声で返事をし、調光・音響室へ通じる階段に向かった。
 すぐにノックする音がした。
 入ってきた沼田が、内田を見て笑顔になる。それでも、明らかに緊張している。
「はい」
 ぎこちない笑顔で、彼女が言った。「何でしょう」
 ここは自分が切り出さないと、と思いジョージは言った。
「沼田、相談なんだけど。今回は、スタッフとしてやってくれないか」
「え」
 表情が、微笑んだまま固まった。
「薫ちゃん、私と演出やって。きっといいお芝居になると思う」
 内田が立ち上がって、弾んだ声で言う。彼女の気持ちは伝わってくる。本心なのだろう。
 沼田薫の目が泳いだ。笑顔は崩さない。ジョージは胸が痛くなった。
「あの、それは、私には、どの役も、無理だということですか」
 言いながらも、まだ、笑顔を保っている。
「違うよ、違うよ。今、内田が言ったように、積極的な意味なんだよ。客席側から舞台を見る人間が必要なんだよ」
 言ってはみたが、ジョージは内心、ヒヤヒヤした。沼田薫の心の均衡が崩れて、怒ったり泣いたりしないだろうか
「ね、お願い。薫ちゃん」
 内田が、手を合わせて拝む。
 一瞬の間。沼田が口元を引き締めた。すぐに、笑顔が戻る。
「やだ、里穂、わかってる、わかってる、わかってる」
 彼女が、ジョージと菊田先生を見た。
「先生、すみません、気を使わせて。時間がかかってたから、どこで揉めてるんだろうって、言ってたんですよ。なんだあ。私のところだったんですね」
 彼女は調光・音響室のガラス越しに、ステージを見た。小さく「そっか」と呟く。その瞬間は、笑っていなかった。こちらを見る。もう微笑んでいる。
「先生、そういうことで、私はいいです。里穂、よろしくね。がんばろうね」
 沼田薫が言い、内田里穂が頷いた。
「それじゃ、私、下でみんなと待ってます」
 一礼して、彼女は出て行った。ジョージは菊田先生を見た。菊田先生もジョージを見る。お互いに、無表情だった。
 内田が席に戻り、残りの配役と主要スタッフを決めた。簡単だった。舞台美術は全員で担当するし、大きな装置はジョージが作る。
「じゃあ、発表しよう」
「はい」
 内田が飛び出していく。教師はあとから出た。菊田先生が呟く。
「無理しとったな、あの子」
 部員を座らせて、キャスティングを発表していく。ジョージは感情が入らないように、淡々とメモを読み上げた。うれしさや悔しさを押し殺して、部員たちは聞いている。
「演出は、内田と沼田の二人体制。舞台監督を兼任」
 少しざわついた。
「もちろん、先生たちも口は出すけどな」
 ジョージが言うと、菊田先生が付け足した。
「いやいや、ワシは口も出さへんし、顔も出さへんで。なんせ顧問は」
「来(こ)んもんや」
 部員たちが、菊田先生の口癖を大合唱した。爆笑。それで、キャスト発表はお開きになった。
 見ると、沼田薫は、他の三年生と話をしていた。笑っている。声を掛けるのも不自然かもしれない。
 ジョージと菊田先生は、ホールを出た。「お疲れさまでした」という声がした。

それが、およそ2時間前のことだった。

 

<4>へつづく

しおかぜ町から2023/11/10「キンパッつぁん編<4>」 - しおかぜ町から