<3>から続く
しおかぜ町から2023/11/09「キンパッつぁん編<3>」 - しおかぜ町から
オーディションが終わって、職員室に戻った。教師として、部活以外の仕事が残っている。書かなければならない報告書も溜まっていた。
コーヒーを入れて、取りかかった。気がつくと、2時間近く経っていた。
「夏目先生」
声がした。三年生の「シマ」からだった。デスクのまとまりが「シマ」。大学入試を控えて、高校三年の「シマ」はピリピリしている。
「沼田のお母さんから電話。夏目先生にって。そっちに回すよ」
来たよ、来たよ、やっぱり来たよ。ジョージの胃が痛んだ。
電話に出た。
「はい、夏目です」
沼田の母親。緊張が高まる。
「夏目先生。沼田薫の母です」
「はい、いつもお世話に」
「どういうことでしょうか、先生」
先手を取られた。
「薫が、ひどく泣きまして」
やはり無理をしていたか。
「聞きましたら、今年は劇に出ないって言うんですが。そうなんですか」
「はい。あの、演出をやってもらう、ということで、本人にも」
了解してもらって、と言おうとしたが、遮られた。
「ひどいじゃないですか」
「いや、えっと」
「うちの娘は、中学から演劇部だったんですよ。先生もご存じですよね」
「はい、もちろん」
「六年間、がんばってきて、最後にこの仕打ちですか」
「いや、仕打ちだなんて」
「仕打ちじゃないですか。六年間コツコツやってきて、最後に劇に出たいと思うの、当たり前じゃないですか。なのに、裏方で助手だなんて」
「いや、そのスタッフも重要な」
あれ、今、助手って言わなかったか。
「お母さん、すみません。薫さんが、助手って言ったんですか」
「そうですよ。里穂ちゃんが演出で、薫は助手だ、と言ってました。泣きながら」
泣きながら、を強調して、攻撃は続行される。
「どういうことなんですか。薫が下ということですよね」
「あの、それは誤解です。こちらとしては、あくまでも二人で」
「ずっと仲良しだったんですよ。なのに上下関係なんて。里穂ちゃんもあんまりだわ」
「いや、だから、決して」
電話の向こうで「お母さん」という声がした。娘がいるようだ。本人に確かめなければ。
ジョージは「薫さんと話せませんか」と言ったが、母親は通話口を塞いで、娘と話をしている。内容はわからない。その時間がしばらく続いた。
「あのー」
ジョージが言ってみると、突然、母親の声がした。
「とにかく先生、考え直していただいて、お返事ください。場合によっては、校長先生にご相談しなくてはなりませんし」
もう、お母さん、と言う娘の声が聞こえた。
「いや、ただ、その、あの」
もごもご言っているうちに「それでは失礼いたします」と聞こえて、電話が切れた。
沼田の母親には、何度か会ったことがある。穏やかな人物という印象だ。その人がひどく感情的になっていた。
「ふう」
ため息をついたところで、再び、三年生の先生から声がかかった。
「夏目先生、今度は内田から。本人だよ。さっきも電話あったんだけど、先生はお話中だって言っといた」
追い打ち。考えがまとまらない。
「はい、もしもし」
「あ、先生。内田ですけど。薫のママから何か言ってきました?」
「まぁ、それは。その」
どこまで話していいかわからない。彼女の方が察した。
「そうか、先生が電話中だっていうのは、薫のママだったんだね、やっぱり」
「いや、まぁ、そうだな」
「怒られたの」
「怒られた、という訳じゃないけど、いろいろ話をした」
実際は怒られたけど、と思ったが、それは言わない。
「私、怒られました」
「そうなのか」
「うん。薫ちゃんママ、昔から知ってるけど、あんなに文句言われたの初めて」
俺もだよ。言いかけたが飲み込む。疑問に思ったことを尋ねた。
「それより、内田。沼田に、助手だって言ったのか」
「違います。それを薫ちゃんママも言ってたんだけど」
言い出したのは、沼田薫だという。指示を出す者が複数いると、キャストが混乱する。
誰の言うことを聞いたらいいのか。演者は絶対に困る。
だから、自分は中間の立場にいて、二人の指示が正確に伝わるようにしようと思う。
「それって、演出助手ってことだよね」
沼田がそう言ったそうである。突然の提案だったので、内田は「ちょっと考えてみる。あとでLINEする」と返事をした。
「それで、帰ったら、薫ちゃんママから電話があって、怒られた」
「それは、不本意だったな」
「フホンイ」
あまり深刻そうではなかった。内田が話を続ける。
「とにかく、私が何も説明しないうちに、電話切れちゃったから。『里穂ちゃんはウチの薫を、見下してたのー』ってヒステリー入ってた。アハハ」
笑ってる。いや、笑い事ではないんだけどな。校長先生に話をするって言ってたんだぞ、その薫ちゃんママが。
いろいろ誤解があるようだ。
「先生は、明日、沼田と話をしてみる。とにかくわからないことだらけだ。君は、彼女にLINE入れてくれ」
「はい、そうします。私、先生が文句言われてるんじゃないかと思って、心配してたんですよ。やっぱり怒られてたんだ。お気の毒です。アハハ」
また笑ってる。だいたい、君がキャスト増やさないから、こうなったんじゃないか。場合によっては、強引にでも一つ増やすからな。言いたかったが、がまんして電話を切った。
また、ため息が出た。気がつくと、そばに誰か立っていた。
「夏目先生」
重たい雰囲気。三年生の学年主任、鷹木先生。次期教頭に任命されるのでは、と言われている。若い教員には怖い存在だ。夏でもダブルのダークスーツを着込んでいる。あだ名はゴルゴ。
「はいっ」
「先生、部活動もいいが、内田も沼田も三年生だ。この時期は、受験生にとって大事な時期なんだよ。それでなくても精神的に不安定になるんだ。気を配ってくださいよ」
「あ、はい、はいです」
「明日は、『進路講演会』なんだよ。保護者も来る。三年の担任は、いろいろ気を使うんだ。夏目先生も、来年にはわかると思うけどね」
忙しいってんだ。べらんめぇ口調でそう言って、席に戻って行った。
うわー、また怒られたよ。意気消沈。頭を抱えて座る。「待てよ」と思った。
明日は保護者も来る。鷹木先生がそう言った。行事表を見た。
職員室の黒板に「七月十六日『三年生進路講演会』九時三十分・講堂。講師は教育コンサルタントの飯塚貴史氏。生徒、保護者同席」とある。
沼田の母親も来校するに違いない。すると、いきなり対決することもある。誤解を解く前に、校長室に乗り込まれるかもしれない。
「頼みは、内田のLINEか」
ジョージが呟くと、隣の席の山内先生が「なんとかなるって」と慰めてくれた。
ゴルゴ鷹木先生に聞こえないように、小さな声で。
この項続く
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