<5>から続く
しおかぜ町から「キンパッつぁん編<5>」2023/11/11黒崎樹里亜(じゅりあ)登場! - しおかぜ町から
台本の読み合わせ。立ち稽古と進んで行く。
学校は一学期の終業式を経て、夏休みに入った。休みと言っても、生徒たちは忙しい。
自分の高校時代と比べものにならない。ジョージはそう思う。
午前中は講習が入っていて、学期中と変わらない。午後からは、クラブ活動をする者、図書館や自習室で勉強する者、予備校に通う者もいる。
教員も多忙だ。ジョージも三年生の大学受験講習を手伝っている。時間割が学期中と異なるので、リズムがつかめない。いつも以上に疲れる。
部活動の指導はもちろんだが、校外活動の引率や三者面談、研修会などの出張もある。ジョージは七月末に「カリキュラム研究会」に出席するように言われた。三日間の東京出張である。東京行きは嬉しいが、他の業務を考えると憂鬱でもあった。
そんな中、練習に行くと、沼田薫の姿が目を引いた。
部長の内田の演出やジョージのアドバイスを、全てノートに書き込んでいる。役者の立ち位置や動きは、図にしてあった。それぞれが苦手なセリフも書き出してあった。
ある日、黒崎の演技が気になり、ジョージがダメ出しをした。彼女は不満げで、何か言いたい様子だった。そこに沼田が行って何かを囁いた。
黒崎が頷き、演技をやり直した。ジョージはまだ納得できなかったが、がまんした。あとで沼田に話を聞こうと思ったのだ。休憩時間になって、彼女がやって来た。
「先生、すみません。さっきのところ」
内田の演出とジョージの要求が食い違っているらしい。
「それに」と沼田が続ける。
「先生がおっしゃったことが、この前と違うので」
「え、そうだっけ」
「はい。台本読みのときは、樹里亜ちゃんの『なんなのあなた』は怒りを前面に出して、と言ったんですけど。さっきは、ゆっくり静かにって。それで」
「そうだったっけ。そのとき思ったこと言ってるからな」
「どっちにします?」
気付くと、黒崎が腕組みをしてこちらを見ていた。うわ、怖い、怖い。
「黒崎」
呼ぶと、なぜかニヤニヤして近づいてきた。
「キンパッつぁん、自分が言ったこと忘れてただろ」
「その時、感じたことを言うんだよ。フィーリングが大事なんだ」
「いいよな、教師は。都合のいいこと言って。こっちは混乱するっての」
「わかった、わかった。悪かった、悪かった。ごめん。で、黒崎、君はどっちがいいと思うんだ」
「私はさ、叫んだりしないで、静かに言いたい。そっちの方が深い感じがする」
「内田は、どうかな」
演出の内田に聞く。
「はい、それでいいです」と彼女が頷いた。
「キンパッつぁん。薫ちゃんに感謝しなよ」
黒崎が言う。
「そりゃぁ」
「どっちなんだよ、ってキレるとこだったよ。薫ちゃんが来て『自分が確かめるから』って言うからさ、がまんしたけどさ」
呼び方が「薫ちゃん」になっている。これまでの黒崎なら「沼田さん」と言っていたはずだ。これはいい傾向なんだろうな、とジョージは思った。
「水、飲みたい」
黒崎が離れていった。他の部員がそれを見ていた。
「おい」
黒崎の背中に向かって声をかけた。
「十分後に、今の場面から再開だぞ。それからな、夏目先生と言え」
「キンパッつぁんは、キンパッつぁんだよ」
出て行った。ホールの裏でひとりになるのだろうか。
ジョージは、そばにいた沼田に言った。
「ありがとうな」
「そんな、出しゃばってすみません」
「先生、薫ちゃん、すごいよ。ノート見たでしょ」
内田が言う。沼田が笑った。照れたように言う。
「そうだ、今のこと、ケイにも伝えとかないとね」
沼田がヒロインの森田恵子と打ち合わせを始めた。内田も加わる。
「助かるよ」
思わず口に出た。
衣裳の準備をしていた一年生が振り返る。ジョージは意味もなく笑った。
<7>へつづく
しおかぜ町から「キンパッつぁん編<7>」2023/11/13 - しおかぜ町から