<6>からつづく
しおかぜ町から「キンパッつぁん編<6>」2023/11/12樹里亜(じゅりあ)と薫(かおる) - しおかぜ町から
沼田薫の献身的な働きは、その後も続いた。
夏休み後半になると、二冊目の『薫ちゃんノート』が半分埋まっていた。
彼女は黒崎だけではなく、全員とよく話をしていた。ジョージとも話し込んだし、ときには菊田先生にも会っている。
「参ったで。『先生、お話しましょ』やて。ワシの分まで弁当持って。午前の受験講座が終わって、クラブまで時間があるから言うて。演劇部のこととか、部員の長所とか短所とか。そんなことワシに聞いてどないすんねん、ちゅうねん」
いやいや、先生、それはご謙遜です。
「でな、そのときな」
菊田先生が声のトーンを変えた。
「内緒にしといてくれと言われたんやけどな。先生の耳には入れとかな、と思て」
「はい、なんでしょう」
黒崎のことだった。彼女の交友関係、特に、校外の友人。
「学校ではだいぶ落ち着いたみたいやけど、外ではな。付き合っている連中が、単車で走り回ったり、やんちゃなのが多いみたいや」
沼田の心配は当然だった。最近は「樹里亜ちゃん」「薫ちゃん」と呼び合う仲になっている。沼田のおかげで、部内での黒崎は存在感を増していた。そのことが、黒崎を穏やかにし、学校生活にいい影響を与えている。だが、校外の交友関係が変化するには至っていない。
不安を抱えながら、夏休みは過ぎ、新学期が近づいてきた。
八月の終わり、ジョージは黒崎の担任に話しかけられた。
「夏目先生。最近、黒崎、どう」
「クラブでは機嫌良くしてますよ。うまくいってます」
「そうか。先生のおかげだね。ところで、彼女が何か言ってこなかった?」
「え、いや、特に何も。何かって何でしょう」
「実はね」
三年生では今、進路を決める面談が行われているのだが、黒崎はなにかと理由を付けて、先延ばしにしてきた。ところが突然、面談をしてくれと申し入れて来た。
「それでね、T芸術短大の演劇科を受験したいって言うんですよ」
「いきなりですか」
「そう、いきなり。それで、黒崎さんが目標を持ってくれたのはうれしい、って言ったんです。ただ」
推薦入試での受験は難しい。そう付け加えた。
それを聞いた黒崎は
「私みたいなのが、学校に推薦してもらえるなんて思ってません」と強い調子で言い放った。それでも、すぐに冷静さを取り戻し、確かめたそうだ。
「でも普通に受験するのは自由ですよね。それはいいんですよね」
真剣な顔だったという。
「それはもちろん構わないし、私は、担任としてできるだけのことはする。演劇科は実技やダンスの試験があるから、夏目先生に相談してごらん、って話をしたんです」
「そうですか。まだ何も聞いてないですね」
「それじゃぁ、言ってきたら相談に乗ってやってください。私も話を詰めます。ただね、何かしでかさないか心配なんですよね、あの子」
だいじょうぶですよ、とは言えなかった。自分も不安なのだ。
その日は会議がふたつあり、時間がなかった。
翌日、クラブに黒崎の姿はなく、沼田が代役をやっていた。体調が悪い様子だったので、無理矢理帰したという。本人は、練習すると主張したそうだが、周囲が説得した。疲れているようだからよく休めと伝えた、と部長の内田が報告した。
次の日は8月31日で、練習は休みにしていた。
結局、ジョージは黒崎と話さないまま、二学期を迎えた。
学園祭まで三週間である。
体育大会の練習も始まった。もちろん授業や試験にも気を抜けない。コンクールや試合を控えているクラブも多い。
残暑の中、高校生たちが躍動する。
「いいよな。若くって」
俺はおじさんだなぁ。もう三十だしな。
昼休み、中庭のベンチで牛乳を飲みながら、青春真っ只中の生徒たちを眺めていた。
そのジョージを見付けて、黒崎が近づいて来る。仲間といっしょだ。男子もいる。そいつがガムを噛んでいた。ジョージが「おい」と言うと、ティッシュに吐き出した。むかつく奴だ。
「キンパッつぁん。暇そう」
「おじさんは暑さでヘトヘトだよ。黒崎お嬢様は、元気になったのか」
「寝たら治った。若いからね。あのさ、それより」
受験のことだと思ったが、担任から聞いたことは黙っていた。
「ちょっと相談があるんだけどさ。学園祭、終わったら」
「いいけど、そんなに先でいいのか」
「いい。今はとにかく学園祭」
「その先にはコンクールってのもある」
「そうだけど。そこまで考えられないよ」
「わかった。学園祭が終わったら、だな」
「ありがと。じゃ、また放課後」
ぞろぞろと売店の方に歩いて行った。
校内では、白い目で見られているグループ。ひとりが「樹里亜、何を相談するのさ」と言っている。演劇科受験のことは話していないのだろう。両親は、知っているだろうか。
時計を見る。あと五分で五時間目の授業だ。
「よっこらしょ」
立ち上がるとき、声が出た。
着実におじさんになっている。
<8>へつづく(本日はもう一本アップしております)