しおかぜ町から

日々のあれこれ物語

「三ツ色日記」2024/03/11おだやか、酔っ払いに特記事項なし

しおかぜ町も季節が進む。

気が付けば、早春を告げるような花が咲いていた。

長い時間に感じたが、

萌花のフランスでの残務整理も

あと一週間もすれば終了する。

ありがたいことに、遠く離れていても

日本語でメッセージは入ってくる。

「LINE」はえらい。本当にそう思う。

ちなみに、私は『LYP』メンバーらしいのだが、よくわかっていない。

 

春の宵、

ひとりで酔っ払っている。

 

アカデミー賞の発表は午前中だった。

オッペンハイマー

監督賞、クリストファー・ノーラン

初オスカー。おめでとうございます。

今更かって思ってしまう。

ダンケルク』とか、凄い。

大作ばかり撮っているイメージだが、

それにも理由があるらしい。

大資本を使える意味も理解されている。

国内のネットは

長編アニメ賞とゴジラで盛り上がっている。

まあ、それもよし。

よき早春の夜。

春宵一刻直千金である。少し早いか。

 

 

「三ツ色日記」2024/03/05泣かせるなあ、ルーメン

(日本の)早朝に、萌花からビデオ通話のリクエストが来た。

間もなく引き払うことになるアパルトマン。

そして萌花とルーメン。

「ヤッホー。センセー。センセーの大事な人と合流したよ」

さすがに「三ツ色に抱かれた女です」は封印してくれたようだ。

占い師の元気な声に、なぜか泣きそうになる。

「〇〇(ルーメンの本名だ)、ありがとうな」

「やだ、本名言わないでよ。現実に戻る」

隣で萌花が泣いている。気持ちはわかる。

ルーメンは救いだ。

「センセー、大変だったね。もう元気になった?」

「うん。酒も飲める」

「そっか、日本に帰ったらお花見しようね~」

彼女の明るさは何だろう。当然、

屈託もあるはずなのに。

それを吹き飛ばすパワー。

ポルトガルでさ。ロシアの『オリガルヒ』に気に入られてね」

また、ものすごい話が始まる。プーチンを支援していたのに、

今は資産を狙われ海外に避難している大富豪らしい。

「占ってあげたら、すっかり、そのオジさんが信頼してくれた」

なんでも怪しい銀行口座のアクセスを許されたらしい。

「大丈夫なのか?」

「わからない。怖いから触ってない。

KGB(ロシアの情報組織)に狙われたらいやじゃん」

巻き添えにされたらたまらない。

「ぜひ、そうしろ」

「わかってるって」

もはやルーメンのパワーは世界レベルだ。

「萌花の用事、助けてやってくれよな」

「うん。荷物の処分とか、困るんだよね」

萌花が隣で肯く。

「頼むよ、〇〇」

「だから、本名言わないでって」

ところでさ。ルーメンが言う。

「去年の今ごろ、先生のこと、占ったの覚えてる?」

覚えているとも。死神のカードが出たのだ。

 

fabuloushunter.hatenablog.com

 

「スクラップ&ビルドって言われたなあ」

「だよね。で、どうだった」

「ひどい怪我をした。いろんなことがあった。だけど、そんで」

「萌花ちゃんと新しい生活が始まった」

「ああ、そうだよ」

「どう? 私の占い」

難癖をつければそれまでだが……。

「参りました。おそれいりました」

「へへ」

ロシアの大富豪も、なにか思い当たることがあったのだろうか。

恐るべしルーメン。

「まあ、でもほんの恩返しだから」

妙に神妙に占い師が言う。

「今の私は、センセーのおかげだからね」

教員時代、必死で向き合った。

妻の葬儀の翌日に、〇〇(本名だ)の生活を気にして話をした。

fabuloushunter.hatenablog.com

それにしても。

 

「じゃあ、萌花ちゃんといっしょに帰国するから。

いっしょにお花見しようね」

萌花が号泣していた。

ルーメンが「えー、どうした?」と言っている。

その空気を読まないのも、

すごいぞ、さすらいの占い師。



 

「三ツ色日記」2024/03/03復帰

萌花がフランスへ。

二週間ほどの不在とはいうものの、

一度二人で暮らし始めたものだから、

あらためてひとりで部屋にいると

妙に手持ち無沙汰と言うか、寂しいと言うか、不思議な感覚である。

LINEでのやり取りはできるのだが、

やはり、それでは物足りない。

いい歳したおっさんが、女々しい限りである。

しっかりしようぜ、俺。

 

というわけで、散歩に出た。

もう車に跳ね飛ばされるのはこりごりなので

慎重に歩く。

できるだけ交通量の少ないところを選ぶ。

意味も無く公園を二周したりする。

まだまだ寒いけれど、外気は気持ちいい。

空も青いし、その空の彼方、パリについたであろう萌花を思う。

 

夕食の買い物をしようと思い「スーパーおとくに」に寄る。

怪我して以来、始めてである。

社長が私を見て近寄って来た。レジ係も来た。おいおいレジ、誰もいなくなるよ。

「三ツ色さん、もう出歩いていいのかい?」

「いや、さすがにもう大丈夫ですよ。

そろそろ社会復帰しなくちゃ」

「よかったよかった。大したことなくて」

「まあ、たいしたことはあったんですけどね、ははは」

保険金は? とか、見舞金は? とか、

お金のことを聞かれた。適当に濁して返事しておく。

事故を起こした方からも、金銭的には充分なことはしてもらった。

なんでも、それなりの裕福な人だったらしい。

「もうお酒飲んでいいのかい?」

「はあ、まあ、普通にしてます」

「じゃあ、これ、持って帰りな」

スーパードライの六缶パックを渡された。

「お見舞いってことで」

社長が言う。レジ係が最近は有料の袋まで持ってきてくれた。

恐縮したが、ありがたく頂戴する。

 

いろいろあるけれど、いい町だ、しおかぜ町は。

さあ、本気で活動を再開しよう。

萌花が戻って来る頃には、100%回復していよう。

しばらく電源をオンにしていなかったパソコンを起動する。

メールはiPhoneではチェックしていたが、

それでもサーバーに溜まっていたメールが溢れてくる。

仕事の関係も数件。

 

いただいたスーパードライを開けてから

私はメールの整理を始めた。

 

「三ツ色日記」2024/02/28

明後日から、萌花が一度フランスに戻る(行く? どっちだ).

それで、バタバタしている。

私の入院で、とりあえずのバッグひとつで帰国したものだから

スーツケースがない。

かといって、あちらのアパートにはでかいケースが置いてあるから

ふたつ引っ張って、日本に戻るのも大変だ。

国際輸送便の費用は、ばかにならない。

できるだけ節約したいのだ。

あちらを整理しないと、

萌花も腰を落ち着けて働くことができない。

私は、収入が不安定なフリーランスだ。

若干の蓄えはあるけれど、そうそう散財することはできない。

「売れるものは売り払ってくるよ」

輸送費払って送っても

日本で使うとは限らないし。

萌花が言う。

家具とか電化製品はそうだろうが

持ち帰りたい物もあるだろう。

「ある程度は覚悟ができてる。

ハプニングだったんだから仕方がないよ」

本当にすまない。

何度も言っているが、本当に申し訳ない。

私が事故に会ったばかりに。

「もう、謝らないでよ。

私も何度も言ってるけど、

おかげで、いっしょに暮らせるようになったんだから。

これでよかったんだよ」

そうか。

と言って、にやけている場合ではない。

準備、準備。

結局、私が国内旅行で使うキャリーバッグを選んだ。

頑丈ではある。海外の乱暴な扱いにも耐えるだろう。

二週間の渡仏。

その間に、全てを片付けなくてはならない。

萌花がスケジュールを確認する。

「ルーメンさんが来てくれたら、助かるんだけどな」

さすらいの占い師は、今はポルトガルにいる。

「ダメ元で連絡してみよう」

萌花がメールを打った。

一分で返信。驚いた。

時差など関係ないのか?

萌花がとびっきりの笑顔で文面を見せる。

「手伝うに決まってるでしょ。

テロリストが来たって、萌花ちゃんを守るって約束したはずだよ。

まかせといて」

これ以上ない、強力な助っ人、参上。

 

 

「三ツ色日記」2024/02/20アンリ・シャルパンティエ

日が経つのが速い。

気が付いたら、確定申告が始まっていた。

納税の義務

三ツ色だって確定申告をする。

去年から電子版で申告しているのだが、

これはこれでややこしい。

e-Taxなら自宅で簡単に」

みたいなことで宣伝しているが

それほど簡単ではないですよ、税務署さん、正直言って。

結局、書類の束と格闘することになる。

まあ、仕方ないけどね。

義務、義務。

政治と金の話題が耳に入ってくると

舌打ちのひとつもしたくなるが

まあとにかく、義務、義務、義務を果たそう。

 

少し休憩しようと思い、

ほうじ茶を入れる。

そうして、ネットニュースをちらちら眺めていると

瞬く間に時間が過ぎていた。

まったく、何やってんだか。

自分に腹を立てて作業に戻る。

それでも、今日中には終わりそうにない。

うーん。

唸ったところに、外出していた萌花が帰って来た。

「『アンリ』のショートケーキ買って来たよ。

食べない?」

食べます。食べるに決まってるじゃないか。

確定申告は、「ここまでの入力内容を保存」して

今日の作業は終了である。

アンリ・シャルパンティエのザ・ショートケーキ

 

「三ツ色日記」2024/02/15

「黒崎さん、合格したって」

萌花のLINEに連絡が来たらしい。

前後して、私の携帯に着信。

キンパッつぁんからだ。

「黒崎が、第一志望に合格しました」

芸術学部の演劇学科。

彼女の受験直前に、私が事故にあったので

ほっとすると同時に、申し訳ない気持ちになる。

「いや、肝心なところで、お役に立てずに」

「そんなことないです。本人も感謝してます」

 

自分に自信を持ちなよ。

私にできたことは、そう言って、その手助けをすることだった。

やんちゃで反抗的で、うまくいかないのは他人のせい。

黒崎樹里亜は、

そんな過去の自分を責めていた。

でも、

過去は過去。消せはしないが、過ぎたこと。

やんちゃが過ぎて、

彼女の顔に残った傷は消えないけれど

隠すことはできるだろ。

それに、そもそもそんな傷、誰も気にしないし

気付いても、関心持たないし

話題にもしないよ。

どんだけ、自意識が強いんだい。

自意識じゃなくて自信を強くするんだよ、

黒崎樹里亜くん。

演技力、表現力、技術もあった。

実技で不合格にする試験官がいたら、

そのほうがどうかしている。

実際、私はそう思っていた。

だから、彼女の人間性が伝われば大丈夫だ。

私が途中で離脱したために

意図がどれほど伝わったかはわからないが、

合格したのだから、うまくいったのだろう。

よかった、よかった。

それにしても……

 

萌花が私と暮らし始めたと知って

黒崎さんとお友達軍団が大騒ぎしているらしい。

まったく、

今日は、春のような陽気である。

 

【新章スタート】「三ツ色日記」2024/02/13

退院した。
幸い後遺症も無く、
あばらと鎖骨の痛みも、ほぼ無くなった。

およそひと月ぶりの自宅。

しかも萌花がいる。

「荷物はそれだけ?」

キャリーケース2つが、彼女の荷物だ。

「着替えと身の回りの物くらいだから。

要るものがあったら、取りに帰るし」

実家まで十分くらいだ。

「フランスにも、私物を置いたままになってるし」

そうなのだ。私の怪我の報せを受けて

躰ひとつで飛んで帰って来たのだ、彼女は。

「いつ頃、向こうに行く?」

修行していた店への挨拶や、部屋の整理のために

もう一度渡仏しなければならない。

「うーん、早いほうがいいんだけど。どうしよう」

まだ、三ツ色さんをひとりで置いていけないしなあ。

私の顔を覗き込む。

「ごめんな」

退院したんだから、大丈夫だよ。

言ってはみたが、確かに不安なことも多い。

「気にしないでよ。そのために帰って来たんだし」

三月になれば行けるだろう。

そう話し合って決めた。

「桜が咲くまでに、戻ってくる。

お花見、いっしょにしたいし。

それにルーメンさんも、その頃、帰国するって言ってたし」

ルーメンはさすらいの占い師。

今はポルトガルにいる。先週、オンラインで話をした。

彼女はタビラという街の、けっこうなリゾートホテルにいた。

いいなあ。病室の私は、思わず言っていた。

そのルーメンが帰ってくる頃には

もう暖かくなっているだろう。

さんざんな新年だったが、そろそろツキも回ってきてほしいものだ。

あらためてルーメンに占ってもらおうか。

萌花がビールを運んで来た。

「少しだけだよ」

ささやかに乾杯。退院祝いである。

久しぶりのビールは、沁みた。